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薬業界 老舗歴史シリーズ 4

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~ 守田治兵衛商店 ~

薬の業界における長い歴史を持つ老舗とも言える会社、伝統あふれる会社にまつわるコレクションを紹介する老舗歴史シリーズのその四、今回ご紹介する『守田治兵衛商店』は一回目の『廣貫堂』や二回目の『武田薬品工業』三回目の『資生堂』のような大企業ではありませんが、その歴史や製造している薬においては負けず劣らず様々な点で歴史的な会社です。
現在『守田治兵衛商店』の製造している薬は『宝丹(寶丹)』『立効丸』『守妙』の三種類です。
そのうち特に『宝丹』の歴史は江戸期~明治開化期の製薬、売薬業の歴史を知る上からも貴重なものといえます。 そして『宝丹』の歴史を語ることはとりもなおさず同社の創業者である九代目守田治兵衛(:以下守田治兵衛翁)の人となりを語ることになります。(現在は13代目の守田敬太郎社長。)

守田治兵衛翁の祖先の初代守田治兵衛は甲斐武田信玄の勇将であった山本晴幸とも言われ、延宝8年(1680年)に摂津國(現大阪府)より江戸出て江戸最古の薬舗「貞松堂」を上野池之端に開業しました。 そして天保12年(1841年)に生まれた守田治兵衛翁は安政6年(1859年)19歳の時九代目の家督を継ぎ、文久2年(1862年)8月にはコレラなどの予防薬として新薬『宝丹(寶丹)』(:以下『宝丹』)を発売しました。
この『宝丹』は守田治兵衛翁がオランダ人医学者A・F・ボードウィン博士の処方からヒントを得て創薬したもので、さらにいろいろな症状の疾病に用いて効果を研究し改良を重ねた結果発売にふみきったもので、上記のように当時は諸種の悪疫特にコレラ(虎列刺)の予防薬として医師にかかるまでの応急薬として重宝されたようです。
このボードウィン博士とはオランダ陸軍軍医学校卒業後、母校で教官となったのち、幕府に乞われて来日、長崎でオランダ医学を教え、その後のちに東京大学医学部となる大学東校において教鞭をとった人物です。
そして『宝丹』は明治3年(1870年)12月28日付出売薬取締規則が布達され大学東校の管轄となるや、いち早く翌明治4年1月15日に出願、明治4年2月24日に免許を受け、官許売薬第一号となりました。
また明治6年(1873年)に売薬検査が文部省に移管されたため再提出、明治7年(1874年)には文部省免許、さらに明治8年(1875年)に売薬取締が文部省より内務省7局(のちの衛生局)に移管されると翌明治9年(1876年)2月10日内務省免許と再々免許の取り直しを行っています。 そしてその都度能書の改正を行っていますが、伝染病や感染症に対する効能にはかなりの制限が設けられていたはずの当時としても珍しいことと思われます。 そして『宝丹』は明治6年(1873年)には清国の上海、香港、広東さらには米国にまで輸出されました。明治10年(1877年)の西南の役では警視庁買上品に指定され陣中薬として携行され、その後の日清戦争・日露戦争においても従軍兵士の多くが『宝丹』を携帯したとのことです。 守田治兵衛翁は自ら“宝丹流文字”を考案しそれを製品名や店名のロゴにしたり、看板、引札はもちろんのこと明治30、40年代には雑誌には『宝丹』の広告の出でいないものは無いというほど多くの雑誌や新聞の広告を利用したり、PR誌「芳譚(ほうたん)雑誌」や「宝丹経験録」を作成、歌舞伎や落語にまで『宝丹』の宣伝を取り入れることにまで成功しました。

守田治兵衛翁は「守田宝丹」とも自称、つまりは『宝丹』とは治兵衛翁の別号であり、また上野池之端仲町の薬舗「守田宝丹」の屋号であり、また商品名でもあったわけです。
“宝丹流文字”の書(体)は商家の看板に重用されたようです。
守田治兵衛翁は明治25年(1892年)ごろに家督を10代目に譲ったのち東京府会議員、市会議員もつとめましたが、売り上げの一部を“奉公人は神様”として小僧にまで配るなどの人物でもありました。

では『宝丹』にまつわるコレクションをご覧下さい。

= 『宝丹(寶丹)』 『立効丸』 『守妙』 =

『宝丹(寶丹)』
宝丹』は昭和60年頃までは赤褐色の半練り状の薬でしたが、薬効の再評価の結果、現在では散剤の薬となっています。
コレクションにある『宝丹』は明治3年(1870年)の官許売薬第一号の4年後の明治7年(1874年)の製品はじめ、明治12年(1879年)、明治16年(1883年)、昭和元年(1926年)当時の製品です。

明治7年(1874年)
宝丹

明治12年(1879年)
宝丹

明治16年(1883年)
宝丹  宝丹

昭和元年(1926年)
宝丹  宝丹  宝丹  宝丹
現代の『宝丹』
宝丹


『立効丸』(たん・せき・ぜんそく)

立効丸立効丸

現代の『立効丸』
立効丸立効丸

『守妙』(四季の引風、婦人血の道、便秘症、咳嗽の出る時、寒暑のあたり、頭痛めまい、腰足の冷込みに良し)

『守田家方 妙振り出し』
守妙守妙

現代の『守妙』
守妙

五拾包入り『守田寶丹』箱


守妙

『宝丹』注文用便箋&封筒
守妙  守妙



「宝丹チラシ」
宝丹チラシ

「宝丹経験録 第壹集」〔明治24年(1891年)〕
宝丹経験録 第壹集 宝丹経験録 第壹集
「宝丹 広告」
明治38年(1905年)
宝丹 広告

「宝丹経験録 広告チラシ」

宝丹経験録 広告チラシ

「宝丹 にせもの注意 広告」
明治38年(1905年)
宝丹 にせもの注意 広告

「宝丹 チラシ」
宝丹 チラシ
宝丹 チラシ




「宝丹、宝丹水 他 広告チラシ」
明治10年(1877年)
宝丹、宝丹水 他 広告チラシ

『守妙』チラシ

守妙 チラシ

『守妙』『立効丸』大特売チラシ
大正15年(1926年)
『守妙』『立効丸』大特売チラシ

『守妙』『立効丸』両面チラシ

守妙 立効丸 チラシ

『守妙』『立効丸』大特売チラシ
昭和6年(1931年)
『守妙』『立効丸』大特売チラシ

「注文 ハガキ」
注文 ハガキ

「宝丹水 広告チラシ」
宝丹水 広告チラシ

「守田家方 賣藥賣捌原價表」
(明治16年)
守田家方 賣藥賣捌原價表

天壽保全法 完

天壽保全法 完

守田治兵衛翁(「守田宝丹」翁)筆
『花の宴』
花の宴

「木製看板」
木製看板

「木製看板」

木製看板

手紙
手紙手紙



〔参考文献〕
・インターネット  『守田治兵衛商店』HP
・日本の名薬     宗田 一 著  八坂書房
・近世日本薬業史   吉岡 信 著  薬事日報社
・伝統薬ロングセラー 守田寶丹


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