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今は昔 売薬歴史シリーズ 3

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~ 浅田飴・ヴィックス ~


前号に引き続き、今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝えるシリーズ その参、今回は薬用飴・薬用ドロップの (1)浅田飴 と (2)ヴィックス を紹介いたします。


(1)『浅田飴・固形浅田飴』 = 【固形浅田飴クール】

  • 今も昔も商品のイメージを一言でいいあらわすキヤッチフレーズは、その商品名やパッケージとともにその商品の価値を一層高める重要な要素です。
    最近でも“風邪を引いたら○○3錠”“ファイト一発”“24時間戦えますか?”など大衆薬の分野でも耳なれたキヤッチフレーズがあります。
    “良薬は口に苦し”という諺は(千回振出しても苦い)センブリや粉薬のことだけでなく、“ためになる小言は耳障りなもの”という意味の誰でも知っている格言ですが、この『浅田飴』今から120年以上も昔の明治20年(1887年)に逆説的斬新的な“良薬にして口に甘し”というキヤッチフレーズで売り出されたユニークな水飴状の薬です。
  • 当初『浅田飴』は「御薬さらし水飴」という名前でした。
    この「御薬さらし水飴」は、当時病気やお産のお見舞いには鶏卵(→その延長でお見舞いにはカステラも良く使われたようです。)や水飴を差し上げる習慣があったようで、そこに着目して初代創始者の堀内伊三郎が苦心惨澹の上、漢方薬を水飴に溶かしこんで作り上げたいわゆる舐薬の一種です。
  • その二年後の明治22年(1889年)には二代目堀内伊太郎は『浅田飴』へと商品名を改称しました。
    この『浅田飴』という名前の由来ですが、それは“浅田宗伯”という漢方医にちなんでいます。
    文化12年(1815年)生まれの“浅田宗伯”は幼少の大正天皇の侍医まで勤めた最後の漢方医と称される“勿誤藥室方函口訣(ほつごやくしつほうかんくけつ)などの多くの医書を著した漢方医学の大家で、この“浅田宗伯”から同郷のよしみで伝授された薬用人参、桔梗、麻黄、葛根などの処方を水飴に溶かしこんで作りあげたのがこの「御薬さらし水飴」で、それにちなんで商品名を『浅田飴』へと改称したわけです。
  • その後大正に入り4年(1915年)(7年という文献もあり。)には「固形浅田飴」が発売されました。 当時の「固形浅田飴」、現在の『固形浅田飴』とはずいぶん違い練状の『浅田飴』に寒天や砂糖を加えて乾燥させ固めてゼリー状としサイコロ状にカット、澱粉をまぶして乾燥させ固形とブリキの缶に入れたもので日本の高温多湿の夏季には長持ちせず、どちらかといえば失敗作に終わったようです。
  • しかし大正11年(1936年)のスペイン風邪大流行により『浅田飴』は飛ぶように売れ、その後の関東大震災の被害も跳ね返し『浅田飴』製造の機械化と「固形浅田飴」の改良が行われ、大正15年(1926年)には現在の『固形浅田飴』タイプの碁石形の『固形浅田飴』が完成しました。
  • かつての『浅田飴』の効能は“たん、せき一切の肺病の持薬、ひきかぜ、よわき人、老人の滋養薬”(;薬用人参成分が含まれているためか。当時は効能の許可基準がゆるやかだったようです。)などと幅広いものでしたが、現在では“せき、たん、のどの炎症による声がれ、のどのあれ、のどの不快感、のどの痛み、のどのはれ”へと一極集中化、またそのキヤッチフレーズも“せき、こえ、のどに浅田飴”へと変りましたが、日本人の生活洋風化に呼応してニッキ味にクール味、さらにはパッション味も加わり、しかも平成15年(2003年)には『固形浅田飴』のシュガーレス化も行い、日々改良進歩が行われている伝統薬といえます。
    (なお低カロリー甘味料の「シュガーカット」は昭和48年(1973年)発売の同社のロングセラーヒット商品です。)

    では『浅田飴』のコレクションをご覧下さい。
1)
『浅田飴』〈戦前〉
かなり古い重厚な造りの缶で12日分でかなり高価な定価壹圓廿銭とあります。
その効き目には百日咳の咳や産前産後、病後の衰弱、貧血症なども書かれています。
2)
『固形浅田飴』(楕円形)〈戦前〉
戦前の楕円形をした『固形浅田飴』です。
裏面には当時のもう一つのキヤッチフレーズ“すき腹にめしたんせきに浅田飴”と書かれています。
戦前の製品ですが MADE IN JAPAN の英語(輸出もしていたようです。)なども書かれており、大正モダンの感じられるデサインの復刻版のぜひほしい缶です。
3)
『固形浅田飴』(円筒形)〈戦前〉
やはり戦前の『固形浅田飴』の缶ですが、円筒形で 2)の(楕円形)の後に位置するものと推測されます。
4)
『浅田飴』(円筒形)〈戦後〉
戦後の(円筒形)の『浅田飴』の缶です。120円。中身入りです。
5)
『固形浅田飴』〈戦後〉
現代の『固形浅田飴』の缶の原形のような缶です。90圓。

浅田飴
表     1)    裏          表      2)      裏

浅田飴
3)         4)         5)        6)現代の製品

【おまけ】

1)
引札
明治44年(1911年)の暦の入った引札。引札とは役者や縁起のよい絵をあしらったポスターのようなもので、特に暦が書かれていると一年間貼ってもらえるので宣伝効果も高く、骨董市での値段も高いです。 この引札 ふすまの裏側に補強のために張られていたもののようです。引札については後日まとめて詳しく御紹介したいと思います。
2)
紙製板状看板(38cm×27.5cm)
年代は特定できませんが、堀内氏製とあり江戸期の雰囲気のあるめずらしい一品です。
3)
紙製薬袋
戦前の同社が販売店に配布した紙製薬袋です。
4)
メモ 戦前の同社が販売店に配布したメモでやはり復刻されてもよいデザインのものです。
5)
シリーズ通巻第18回“戦争と薬の広告・景品たち(その(1))”で御紹介しました日露戦争当時の政治風刺漫画が書かれたチラシで、明治37年(1904年)頃のものと推定されます。
6)
木製看板(136cm×18cm)
7)
チラシ(明治期)
8)
チラシ(明治期)
9)
チラシの一種
10)
しおりの一種(キャッチフレーズ入)
11)
メモ帳(昭和16年)
12)
紙製ヒコーキ
13)
ストラップ
14)
紙製薬袋(最近のもの)
浅田飴

浅田飴

浅田飴

浅田飴

浅田飴

浅田飴

浅田飴

浅田飴


(2)ヴィックス コフ ドロップ = 『ヴィックス メディケイテッド ドロップ』

  • 日本の純国産、伝統的な咳止め飴『浅田飴』に対し、その対極に位置する存在とも言える咳止めドロップが『ヴィックスドロップ』です。
  • 現在のヴィックスドロップも三角の形をしたドロップですが、その昔容器も三角形でした。
    その頃の製品を覚えている薬剤師はかなり年期の入った御仁と言えますが、本号で御紹介するのは、その三角形当時の、そして、そのあとの丸缶の時代の[ ヴィックス コフ ドロップ] です。
    現在『ヴィックス メディケイテッド ドロップ』は大正製薬が製造販売しておりますが、かつては「日本ヴィックス株式会社」という名称の会社が販売していました。
    この会社とその取り扱っていた商品の消長を見ますと戦後の大衆医薬品業界の縮図を見るような気がしますので少し長くなりますが御一読下さい。
  • 去る1966年(昭和41年)まではアメリカの製薬会社「リチャードソン・ヴィックス」の製造していた咳止めドロップは、ヴィックス製品を輸入していた阪急共栄物産が販売していましたが、この年に「リチャードソン・ヴィックス」と商社「伊藤忠商事」との合弁で日本ヴィックス(株)が設立され、その販売を引継ぎました。
    1977年(昭和52年)には一旦社名を「リチャードソン・メレル株式会社」としましたが、1979年(昭和54年)には『日本ヴィックス(株)』に復名。
    1985年(昭和60年)には本家「リチャードソン・ヴィックス社」の経営が悪化、結局「プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)」傘下となり『日本ヴィックス(株)』は『プロクター・アンド・ギャンブル・ヘルスケア株式会社』(呼称:P&Gヘルスケア)へと変更しました。
    1994年(平成6年)には「マックスファクター」が「P&G」の傘下になったことに伴い『P&Gヘルスケア』は『マックスファクター株式会社・P&Gヘルスケア事業部』に組織変更しました。
    1997年(平成9年)には便秘薬[コーラック]の販売事業を大正製薬に譲渡。
    1998年(平成10年)には哺乳瓶消毒剤[ミルトン]の販売事業を杏林製薬に譲渡。
    2000年(平成12年)にはニキビ治療薬[クレアラシル]の販売事業をブーツヘルスケアへ譲渡。いずれもOTCの販売に携わってきた薬剤師には懐かしく、またおなじみの商品です。
    2002年(平成14年)にはついに[ヴィックス コフ ドロップ]と[ヴィックス ヴェポラップ]の日本での販売事業を大正製薬に譲渡、「P&G」は日本での大衆薬事業から全面撤退してしまいました。
  • 以上のような経緯を経て現在の製品は大正製薬から販売されているわけですが、コレクションの三角缶は裏面に阪急共栄物産株式会社の名前とVICKS(JAPAN)INC. の名が印刷されており昭和41年以降から昭和50年頃あたり、35年以上昔の製品かと思われます。
  • またとなりのワイルドチェリー味の赤い丸缶では裏面に阪急共栄物産株式会社の名は消え『日本ヴィックス株式会社』の名前だけが書かれています。
    グリーン色のレギュラー味を含めて現在では5種類のフレーバーの製品がありますが、いつ頃からワイルドチェリー味が発売されたのか、丸缶はいつ頃まであったのか判りますといつ頃の製品か推定できるのですが、『日本ヴィックス(株)』が存在していない現在となっては三角缶にしろ丸缶にしろいつ頃の製品か確定することは困難な状況です。
ヴィックス




〔参考文献〕
・日本の名薬      山崎 光夫   東洋経済新聞社
・伝承薬の事典     鈴木 昶    東京堂出版
・日本の伝統薬     宗田 一    主婦の友社
・名薬探訪       加藤 三千尋  同時代社
・インターネット    フリー百科事典『ウィキペディア Wikipedia』より 日本ヴィックス
・インターネット    株式会社浅田飴HP

〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局  荻野 祥子 先生


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