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置き薬・くすり屋のおまけ・景品シリーズ 1

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~ マッチのおまけ ~


**はじめに**

新企画として、置き薬・くすり屋のおまけ・景品を何回かに分けて紹介してゆきたいと思います。

富山ばかりでなく奈良、滋賀、大阪、佐賀、熊本をはじめとする全国の置き薬屋さん・売薬行商人(配置家庭薬販売業・医薬品配置販売業)達は置き薬と健康ばかりでなく、様々な地方の話題や情報と紙風船に代表されるおみやげを各地に届けました。

一方いわゆるくすり屋には薬種商、一般販売業、薬局などありますが、立川でもここ一年間ほどで薬種商は1/4近くも減少しました。近年規制緩和の名のもとにコンビニでも一部の薬品が売られる時代となり、また医薬品販売業も今のようにコンビニ化した大手チェーンドラッグストアーが目立つようになりましたが、こうなる以前は薬は店頭での対面相談が前提の対面販売(いわゆるOTC;Over The Cou-nter Drug )があたりまえでした。
このまま行きますと昔タイプのいわゆるくすり屋は“お米屋”“牛乳販売店”“乾物屋”“荒物屋”…のように絶滅危惧種になってしまうのではないかと危機感を抱いております。
それにしても昔のくすり屋では置き薬屋さんに負けず劣らず様々なおまけ・景品がお客さんに配られました。

このシリーズではそんなおまけ・景品を紹介するわけですが、今回は禁煙運動、嫌煙運動などの迫害にもめげず今も生き続ける愛煙家のかつては必需品だったマッチ、現代の子供たちにとっては点(つ)け方すら知らない絶滅しかけているマッチのおまけです。

田中燐寸(株)の開設している燐寸(;マッチのこと)博物館のHPによりますと、明治8年(1875年)に東京の三田で旧金澤藩士の清水誠により作られたのが我国におけるマッチ製造の始まりのようです。
その後種々の改良を経て日本人の器用さ、職人技術の高さとも相俟ってマッチ産業は成長をとげ、大正期には輸出の黄金時代を迎えました。
その後昭和48年(1973年)には総出荷量が戦後最大の80万マッチトンにも達したようですが、昭和の50年代に入ると使い捨てライター(100円ライター)が急速に普及し、また台所などの家電の普及もありマッチの生産は大打撃を受け現在に至っています。

小型マッチに広告を描いた広告マッチは、手頃な製造価格や広告面の広さ自由さなどから昭和30年代には全盛期を迎え、当時はそのコレクターもかなりの数がいたようですが、現代では広告マッチを手にすること自体が少なく、コレクターもめっきりと減りました。(テレフォンカードと消長が似ているように思えます。)

ではコレクションにある薬に関する広告マッチをご覧下さい。一部は箱本体からはがした広告部分のみのコレクションです。気がついた、目についた広告の内容をあげてみます。
(1-1)~(8-3)は薬局の広告マッチです。薬局のトレードマークは現代では黄色い保険調剤の看板か十字マークか…そんなあたりかと思いますが、これらの広告マッチを見ますと昔は天秤ばかり、乳鉢と乳棒、メスシリンダー、白衣(+眼鏡と髭=まじめ)あたりが薬局のトレードマークだったようです。
それらの中でも異色は(5-4)の調剤専門のナカニシ薬局のデザインです。
説明はいらないと思いますが、(どこだかわかりませんが)カンカン森通りにあった薬局です。〔カンカンとは古い広辞苑によりますとフレンチカンカンのことで、20世紀の初めキャバレーで踊った騒々しい踊りでムーラン・ルージュ劇場で盛行した踊り。このデザインとなにかつながりがあるのでしょうか?〕

“必ズ勉強致シマス(1-1)” “親切な勉強堂薬局(3-1)” “親切で勉強な(3-4)”。
勉強という言葉が目に付きますが、この“勉強”は今はあまり使われませんが“まける。安くする。値引きをする。”という意味、言い回しで、薬局が勉学(べんがく)に勤(いそ)しんでいたという意味では絶対ありません。
“ほころびハ小さい内 病ハ軽い内(4-4)”GOOD!!

『岸田の目薬 精錡水(せいきすい)(7-3)』『目薬は岸田精金奇水(せいきすい)に限る(8-3)』にある“精錡水”とは、後日目薬の特集号で紹介しますが慶応3年(1867年)に発売された日本初の洋式液体目薬のことで薬史学上貴重なマッチ広告です。
“三十一年四月一日より医薬分業になります”“病気は医師に”“くすりは薬剤師に”(12-1・2・3)は昭和31年4月1日に行われた医薬分業推進運動の時に作られたマッチで、その際の店頭暖簾(旗)(参考)が内藤記念くすり博物館収蔵資料集-(1)くすり看板のP98に掲載されています。

若かりし頃の巨人軍の長島茂雄選手が目立ちます。(13-1)(13-2)
三共胃腸薬(13-3)のモデルは若かりし頃の小林佳樹です。

(13-4・5)は今もある『ヒルドイド軟膏』のマッチですが、“ドイツの不思議な薬”。
裏は、これも今もある『ポステリザン軟膏』の広告ですが“安心して酒がのめる”と書いてあります。どちらも今では使えない言い回し、キャッチフレーズです。
マルホ商店が輸入してました。

大型のマッチですが、(14-1・2)は現・田辺製薬が田邊五兵衛商店と名乗っていた戦前、昭和18年(1943年)以前の『トリアノン』(:肺炎の特効薬といわれたスルファピリジンの有力商品。)の広告マッチで非常に豪華なものです。医師、医家向けと思われます。

(15-1・2)は第一製薬の『アトラキシン』の広告マッチでアトラキシンはカルバメート系抗不安薬のメプロバメートの商品名です。


マッチ


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( 本項参考文献 )
 ・筒井康隆   最後の喫煙者  新潮文庫
 ・内藤記念くすり博物館収蔵資料集-(1)くすり看板数
 ・古い薬の便利帳       (株)薬事新報社
 ・広辞苑(昭和44年版)    岩波書店


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