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薬と歴史シリーズ 4

疱瘡・痘瘡・天然痘 そして種痘 へ ≪  ≫ 戦争と薬の広告・景品1 へ
~ 今では使えない図象・図案のご紹介 ~

  • 今回は薬と歴史(古資料・古文献・古書散策)シリーズその4として歴史の流れから現代では使うことの出来ない(つまりは放送禁止にあたるような)薬にまつわる図像や図案、そして言葉や言い回し、を取り上げてみました。
  • 商売に伴う図象や図案に関しては荒俣宏氏や北原照久氏の著書に詳しく、また戦時広告等に関しては町田忍氏の著書に詳しく紹介されておりそちらも参考にしていただきたいと思いますが、特に戦争にまつわる薬関係のコレクションについては項を改めて後日御紹介したいと考えております。



1. “ピストル丸”

  • 富山の配置売薬で有名な廣貫堂の製品です。(五十丸 拾銭)
    現在では銃刀法違反で逮捕されそうな名前の薬ですが、丸薬の丸とピストルの弾・たま・丸をオーバーラップさせたところが微妙で、胃の痛みばかりでなく精神の沈鬱にも効くようで、ピストルの弾のような強力な薬ならば、ピストルを突き付けられたようで気鬱など吹き飛んでしまうことも充分うなずけます。
    ところで明治15年(1882年)当時の新聞などには下記のようなピストルの広告があり、明治の初期にはピストルが自由に買えたようです。よって薬の商品名に“ピストル”が使われることも問題はなかったわけですが、当時の郵便脚夫は法令で六連発銃を持たされていたといいますから、現代なみに物騒な時代だったようです。
    ピストル丸 ピストル丸 ピストル ピストル
    「もっと面白い廣告」より


2. “弾丸(だんぐわん)”( 価 九~拾銭 )

  • ピストル丸とくれば、次は弾丸です。これは奈良縣の高市で作られていた薬で、胃腸病は“いやでもなおる。スッカリ治る。”という実に強力な薬で、その結果“はら世界は平和になる。”という力ずく、武力でもってテロを封じ込めるような思想が背景に感じられます。2.3.4は時代の背景として軍事色、戦争の影響が読みとれるものです。
    弾丸 弾丸 弾丸


3. “大砲のデザイン”&“戦捷丹(せんしょうたん)”

  • 弾丸とくれば、次は大砲です。一つは奈良縣新庄町で作られていた“トンプク一弾”です。
    もう一つは同じく奈良縣の御所町で作られていた“トンプク風薬ナオール”でいずれも陸軍の砲兵が大砲をぶっ放して鬼が吹き飛んでいる迫力ある図案で、どちらも頓服で速効性(速攻性)をうたっているもので、肝油のように毎日少しずつ一年を通じて服用するような薬では大砲のデザインはマッチしない訳です。
    戦捷丹 戦捷丹
    ( 価 拾五銭 )
    戦捷丹
    ( 価 三拾銭 )
    捷(しょう)という字は近年ではほとんど使われなくなりましたが、捷(しょう)とは戦に勝つという意味で、仁丹のような口中香剤の“戦捷丹(せんしょうたん)”は進軍ラッパと双眼鏡とバックにはぼかし模様で菊の御紋を抱いた日章旗と連隊旗がデザインされています。
    “戦捷丹(せんしょうたん)”は大阪で後日御紹介する予定の征露丸のような“戦友丸”を販売していた帝国戦友相愛會が作っていた薬ですが、横文字の記述も見られることから対米戦の始まる以前の昭和初期の頃の製品と思われます。なお丹という剤形については後日解説をしたいと考えております。
    先の戦争ではこの捷(しょう)という字を使った大きな作戦がありました。それは当時の帝国海軍が敗色濃い昭和19年(1944年)に起死回生を計って立案した捷号作戦で、一号から四号のうちフィリピン方面で行われた捷一号作戦では戦艦武蔵が撃沈され、最後の空母機動部隊は壊滅し、実質上帝国海軍は滅び、そして初めて神風特別攻撃隊が出撃した作戦でもありました。


4. “爆弾のデザイン”の薬と看板

  • 大砲とくれば、次は爆弾です。第一次世界大戦の頃から飛行機が戦争で使われるようになり、初めは石やレンガを敵陣に落としたりしてましたがそのうち大砲の砲弾を落とすようになり、ついには爆弾が発明されました。ここで紹介するのは爆弾をデザインしたカゼ薬と虫下しです。
    “カゼネツ眞治”は“ピストル丸”の廣貫堂の製品です。“セメンエン”も富山縣で作られていたいずれも戦前の製品です。
    カゼネツ眞治 カゼネツ眞治
    ( 価 貳拾銭 )
    セメンエン
    ( 価 貳拾銭 )
    大正14年(1925年)にまで起源がさかのぼる“わかもと”は現在も売られている乳酸菌・酵母・ビタミン補強整腸剤で、戦前~戦後を通じ活発な宣伝活動をしており、それらは日を改めて御紹介いたしますが、ここに登場するのは爆弾をデザインした“わかもと”の木製看板です。
    この看板の時代を推察しますと、
    ・日中戦争当時、日本が中国大陸の南京や杭州、重慶などをさかんに渡洋爆撃を行った頃[昭和12年(1937年)~15年(1940年)]の産物と思われます。
    ・一方下の写真は東京大空襲[昭和20年(1945年)3月10日]の際の空襲を受けている銀座の写真で電信柱に“わかもと”の電柱広告がみられます。
    ・「目には目を」「因果応報」といったものを感じます。
    わかもと
    (縦76cm×横20.6cm)


5. “つんぼの妙薬”チラシ

  • つんぼの妙薬 先日耳の遠い在宅の患者さんの92歳になられるおばあさんが、耳の遠い自分のことを『あたしゃ、つんぼだから。』とおっしゃっておりましたが、久し振りで“つんぼ”という言葉を耳にしました。現代では障害を持つ人達に対する差別用語として“おし”や“めくら”とともに禁止される言葉ですが、ここにとりあげたチラシは明治期の初めと推測される和紙に版木で印刷をした京都丸太町堀川東入の葉村屋で製造していた“つんぼの妙薬”のチラシです。変体がなで書かれているため読みにくいかと思われますが、“なん病のつんぼを治す。耳なり(略)など耳一切の病や産前産後、血の道、のぼせ一切、たちまち治る大妙薬。詳しくは能書きに記載してあります・・・。”とあり病理学的にのぼせが亢じると“つんぼ”になり、のぼせを引き下げると“つんぼ”が治る、そのように効く薬のようで後日御紹介いたします“首から上の薬”や“健脳丸”に共通するものです。
    (縦24.5cm×横17cm)


6. “きちがひ 良薬 人參圓湯”琺瑯看板

  • きちがひ 良薬 人參圓湯 最近精神分裂病という名称が偏見や差別を助長している、実態を正確に表現していないなどとして統合失調症という名称に変わりましたが、御紹介しますのは“きちがい”に使う薬だと堂々と名乗った今でいう滋賀県、当時江州=近江の國で作られていた家傳神藥の“人參圓湯”琺瑯看板です。
    (縦60cm×横11.5cm)



7. “ポステリザン軟膏マッチ”

  • ポステリザン軟膏マッチ 当時はマルホ商会が輸入していた、現在では強力の字が付いているドイツの痔の薬・ポステリザン軟膏の宣伝マッチですが、キャッチフレーズに“安心して酒がのめる”とあり、親切に徳利とお猪口の絵(;日本酒党ということか?)まで書かれております。
    しかもマッチまで使うとなれば煙草も吸う訳で、いずれ痔が再発することは請け合いです。


8. “ハイジゴク”“ハエゴロシ” ( 価格不明 )

  • 薬ではありませんが蠅が舐めると死ぬ殺虫剤です。蠅をハエというかハイというのかは後日殺虫剤のコーナーで考察してみたいと思いますが、ここに取り上げた殺虫剤は蠅が気の毒になるような名前の殺虫剤で漢字で書けば“蠅殺し”“蠅地獄”となり、現代では昆虫愛護協会から抗議が殺到しそうな名前です。
    “ハエゴロシ”は岡山、“ハイジゴク”は大阪でつくられていた殺虫剤ですが、パッケージの雰囲気は似ており、“ハイジゴク”には『集まったはえはすぐこの薬をなめその場で死ぬ』と書かれています。
    いずれにせよ、昔は表現がきつかったと思います。
    ハイジゴク ハエゴロシ


(本稿参考文献)
・早乙女 勝元 著 東京大空襲 河出書房新社
・野村 実 著 日本海軍 河出書房新社
・太平洋戦争研究会編著 武器・兵器でわかる太平洋戦争 日本文芸社
・天野 祐吉 著 もっと面白い廣告 筑摩書房


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