|
服用量は、1匁(いちもんめ。3.75gです)を一服あるいは一日量
として、熱燗の日本酒で飲む(お酒で飲まないと効かない)、となっています。
また、子供はその三分の一を服用することになっています。
| 様々な服用量 |
| 使用法に関しては、いくつかの方法があるようです。 |
| 飲み薬として使用する場合、上記の1匁を1服あるいは1日量
を酒で飲むという方法の他にも、 |
| 「大人1日1回1包、小人1日2回2分の1包。酒で飲む。白湯でも可」 |
| という記述も残されています。(明治期の服用法説明より) |
|
土方康さんの名前で書かれた「石田散薬の宣伝文」によると、日清・日露戦争の兵士も使っていたということです。(→参考:「松本良順の書いた本」)
日野のお年寄りの談話によると、「満州事変のときも使った」とのことです。
ただ、「効くっていう話しはついぞ聞いたことがない」ようなので、残念です。
| 石田散薬の値段 |
| 石田散薬は、いったいいくらで売っていたのでしょうか。 |
| 明治の売価は「1包20銭」だったようです。
|
| 少しピンときませんね。 |
| 同時期に売られていて、今でも目にすることのできるクスリに「大学目薬」(参天)があります。 |
| 大学目薬1瓶の売価は、石田散薬1包と同じ20銭でした。 |
| この当時の20銭は「かなり高い部類に入っていた」ようです。 |
| |
| 参考までに、年代別での20銭で買えるものを挙げておきます。 |
| 明治2年「飯田町の土地1坪」、明治3年「ビール1本」、明治10年「レモン水小瓶」、 |
| 明治43年「ビフテキ」、大正10年「アイスクリーム1個」 |
|
(ちなみに、大正10年の国会議員の年棒は3000円でした)
|
| 大雑把に、石田散薬一包が現代の「1000円〜2000円」くらいだと考えると判りやすいかもしれません。 |
| 飯田町の土地と考えると高すぎますので。 |
|
第二次世界大戦後の昭和二十三年(西暦では1948年)頃までは土方家で製造されていましたが、薬事法の改正(昭和23年)に伴い、調査実験の方法などは不明ですが、国から無効無害という調査結果
が示されたそうです。(→検証)ちなみに、今回の研究で用いられる液体クロマトグラフィー分析やNMR解析の技術は、まだ当時開発されていませんでした。
| 昭和23年当時の分析法 |
| 昭和23年の分析技術は定性反応(未知の物質に特定の操作をしたときに、物質Aだけに現れる反応が起こる場合、未知の物質を物質Aだと確定することができます。それを利用したシンプルな分析方法です)が中心です。 |
|
当時の担当官庁からは「効果のある別の成分(新薬)を混ぜれば、販売を続けてもいい」あるいは「薬効を信じている人にだけ少量
配付する分には構わない」旨の通達があったようですが、家伝薬ということで、製法原料を変えてまで続けたくないとの意向などから、土方家では製造を中止しています。
製造中止した後も使いつづけていた人がいたらしく、昭和四十年代に、「石田散薬でないと効かないから」と、祖母の頼みで購入依頼にやってきた方がいらしたそうです。
|