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ジェネリック(GE)篇(その11)

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~ ジェネリック(GE)篇(その11) 「萬病感應丸」 ~


  • 江戸時代から21世紀に至るまで引き続き命脈を保ち続けている売薬には、すでに御紹介しましたなかでは“宇津救命丸”“實母散”“熊胆丸”などがあり、それぞれに多くの類似薬が作られ、売られてきました。
    今回御紹介します『萬病感應丸』も“宇津救命丸”などと同様に300年前の江戸期に創製され現代でも広く使われている伝承薬で、かつては多くの類似薬も存在しました。

  • この『萬病感應丸』が生まれたのは近江、今でいう滋賀県の蒲生郡日野町の地で正野家7代目の万四郎(後に玄三と改める。)翁により考案された薬でした。
    もともと(26才頃に独立し)近江商人(日野商人)として奥州路に至るまで日野名産の銘茶や漆器を行商していた万四郎はある日母親急病の知らせで舞い戻り近隣の医者の治療を受けましたが功なく、母を背負い上京(京都)仮住まい、当時の名医名護屋丹水の治療を受けたちまち病は快癒、これに突き動かされた万四郎は丹水門下に入門(33才の頃)、多いに勉学精進の結果、医師の最高位である法橋の位を授かるまでに出世、昇進をしました。

  • その後老齢となった玄三翁はふるさと忘れ難く、故郷の日野に帰り医業を営む傍ら日野商人に請われて考案、当初粉薬であった「五色袖珍方」を改良、道中携帯薬として携行に便利で壊れない偏平半月の丸薬『神農感應丸』を正徳四年(1714年)創製しました。
    道中薬として生まれた『神農感應丸』ですがその効き目は多岐にわたり、結果万病に効き目ある意味で『萬病感應丸』と呼ばれるようになりました。
    ここらへんの経緯(いきさつ)は“金匱救命丸・宇津救命丸”の発祥と相通じるものがあります。(なお日野売薬は富山の置き薬とは異なり店舗販売を軸にして広まってゆきました。)

  • このチラシは骨董市では比較的多く出会う事のある江戸期のチラシで『神農感應丸』の効能が書かれており正徳四年午歳の記載があります。(ただしこのチラシが正徳四年=1714年印刷のチラシということではないと思いますが。)
    神農感應丸効能書
    (神農感應丸効能書)

  • その後明治の文明開化を経て現代にいたるまで『萬病感應丸』は使われ続けていますが、その他の歴史ある名薬と同様に『萬病感應丸』にも多くの類似薬があらわれました。

    では日野本家の流れを汲む『正野法橋玄三調合 萬病感應丸』(:現在では日野薬品が製造)の歴代パッケージと数多くの類似薬のコレクションをご覧下さい。 なお現在でも『萬病感應丸』の剤型は他には見られない偏平半月型の丸薬であります。


**** 本家『萬病感應丸』 ****
萬病感應丸

**** その他の萬病感應丸類似薬 ****
萬病感應丸
萬病感應丸
萬病感應丸

**** その他の感應丸 ****
萬病感應丸



〔参考文献〕
・鈴木 昶  著   伝承薬の事典     東京堂出版
・宗田 一  監修  日本の伝統薬     主婦の友社
・薬事日報
・滋賀の医薬品地場産業のルーツを訪ねて
              『萬病感應丸』
            300年近く命脈を保つ伝承薬   薬事日報社


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