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昔はこんな薬もありました 13

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~ 体温計 ~


“昔はこんなもの(薬)もありましたシリーズ、今回は『体温計』です。

  • もちろん現代でも体温計は家庭の健康管理の必需品の一つで、救急箱には欠かせない衛生材料の一つですが、一昔前は現在の主流になっている電子体温計とは全く別物のガラスで出来た体温計が“体温計”でした。

  • 体温計はガリレオ・ガリレイによる温度計(寒暖計)の発明に触発されて1609年(;1612年という説もあり。)にイタリアのサントーリオによって考案されたのがはじまりとされています。
    その体温計は末端が水中に浸ったラセン状の細いガラス管のもう一方の末端の球形部分を口にくわえて膨張する空気により移動する水の動きから体温の変化を知るという手のこんだいわば口腔体温計でした。

  • その後1600年代後期から1700年代半ばにかけてオランダのヘルマン・ブールハーブェとその弟子たちは健康人の体温と病人の体温を比較、病気の経過を観察する上で体温の測定は有用であることを発見、また1858年にはドイツのカール・ウンデルリッヒが病気によって熱型が異なることを発見するなど病気の診断には体温の測定が欠かせないものであるという概念が確立されてゆきました。

  • 1860年当時の温度計は長いもので、これを用いて体温を計るには20分もの時間がかかりましたが、1866年にはイギリスのトーマス・クリフォード・アルバットが軸を短くしたより使い易い形にしたいわゆる最近までよく使われていたガラス製の小型平型の懐中体温計を作りました。 また同じ年の1866年にはドイツのC.エレールによって水銀体温計が考案されました。 これら今から140年前の19世紀の後半の研究・発明を契機に医療業界において体温の測定と体温計が普及することになったと考えられます。

  • 一方我国に温度計が伝来したのは明和2年(1765年)のことで、かの平賀源内はこの温度計の作り方について蘭方医の杉田玄白や中川淳庵に解説したとのこと、そして平賀源内はさっそくオランダより輸入されたこの温度計を研究し3年後の明和5年には日本で最初の温度計を作りました。
    その後明治初年(1867年)には欧州に留学した医学者たちが前記アルバットが考案した小型の懐中体温計を我国に持ち帰ったのが日本に“体温計”が入ったはじまりとされ、やはり我国でも140年位前から体温計が医療関係者に広がりはじめたと考えられます。
    そして国産の“体温計”がいつから作られたかですが、一説によりますと明治15年(1882年)に山口県三田尻の山崎豊太郎が作ったのが最初といわれています。
    その後薬学博士の丹波敬三(;大霊界で有名な俳優丹波哲郎の祖父にあたる明治・大正期の薬学者で薬剤師会会長や、東京薬学専門学校〔:現東京薬科大学〕の校長を勤めたりした。)が医療機器店の「いわし屋」儀兵衛に依頼して体温計を作らせ、それを売り出す販売会社「晩成社」を作りました。「晩成社」は体温計を一本18円で販売していましたが、横浜の商社が外国製体温計を12円で販売していたため採算が取れず「晩成社」は早々に閉鎖したといわれています。
    一方明治16年(1883年)には「晩成社」とは別個に柏木幸助が体温計の製造を始めました。柏木体温計は明治20年代に実績を大きく伸ばし柏木体温計は昭和に入っても存続してゆきます。
    その後大正期(1925年~)に入り、今から80年前ほど昔、理学博士の鶴田賢次が狂いのない丈夫な三角型体温計を発明し、これにより国産品が多く使われ体温計が家庭に普及するようになりました。
    体温計にはセ氏35度から42度まで目盛りが刻んでありますが、昭和34年(1958年)頃から32度から42度まで目盛りのある未熟児用の体温計も売り出され、また月経周期のホルモン状態を示す基礎体温を計るための婦人体温計は35度から38度までの目盛りがより細かく目盛られています。(なおセ氏-摂氏-温度は1796年にスウェーデンの天文学者のアンデルス・セルシウス氏が提唱したもので氷の融解点を0度、水の沸点を100度としたもので℃で表示されます。
    一方華氏温度は氷・水・塩化アンモニウムの混合物の水銀温度計の水銀柱の高さを0度とし、水の沸点を212度としたものでFで表示されます。)
    一方1970年(昭和45年)頃アメリカ陸軍の軍医のジョージ・パーキンスが電子体温計を考案アイオワ州の器械店手販売しはじめました。壊れにくくそれまでのアナログ表示でなくデジタル表示の電子体温計は急速に普及し現代ではガラス製体温計に取って代わり体温計の主流となってしまいました。

    では“体温計”コレクションをご覧下さい。
(1)「ZEAL’S」体温計
:英国ロンドン製〔1888年(明治21年)に設立されたZEAL社〕の輸入品で、英文で書かれた説明書に変な字体の日本語の説明が下記加えられています。
 東京日本橋本町3丁目のイワモトコキチが代理店ですが、体温計本体は別会社の製品の可能性があります。

(2)「Lead」体温計
:(1)と同時代の体温計でセ氏35度から42度まで目盛りが刻んであります。
 一見輸入品のようですが国産ではないかと思われます。
 また、(1)(2)とも大正~昭和初期の製品と思われます。
ZEAL'S体温計
(1)
ZEAL'S体温計
(2)

(3)「柏木体温計×4種、説明書×2種、詳しい説明書“体温計の常識”+景品ガラスペン」「ゼヒ体温計×2種」
:これらの柏木体温計で2段目の製品(※1)には京都府警察共済組合の名前が入っています。
 警察共済組合が組合員に配布したり警察病院で使用したものと思われます。
 木箱入りのゼヒ体温計(※2)は柏木特製とあり柏木が改源(株)より受注生産していたもので、箱入りのゼヒ体温計(※3)にも柏木体温計製造元とあり、いずれの体温計も表示部分にはカラーで<常位 平温 微 軽熱 中熱 高熱 最高熱>などと丁寧に体温の説明がされています。
柏木体温計

仁丹体温計

(4)「仁丹体温計×3種/テルモ体温計」
仁丹とテルモの関係ですが、テルモはそれまでドイツ製に頼っていた体温計の国産化を目指して大正10年(1921年)に北里柴三郎博士が設立した「赤線検温株式会社」が前身の会社です。
テルモとはドイツ語で体温計の意味の Thermometer(テルモメーター)に由来。
翌年1922年には仁丹体温計を製造し森下仁丹より発売、昭和38年(1963年)には(株)仁丹テルモに社名変更し森下仁丹の医療機器製造部門会社となりましたが昭和49年(1974年)には森下グループより分離し現在のテルモ株式会社となりました。
コレクションの仁丹体温計には平型と三角型あります。

(5)「マツダ体温計2種/ギバ体温計及び説明書」
:マツダ体温計箱入りは¥180の値段がついてます。
 ギバ体温計の説明にはマツダランプ製造元とあり、ランプも体温計もいずれもガラス製ということで体温計の製造には電球製造の技術が生かされていたものと思われます。
マツダ体温計

(6)「柏木体温計パンフレット〔昭和13年(1938年)〕」
:戦時資料としても興味あるものです。
柏木体温計パンフレット

(7)「仁丹計器時報第9号〔大正14年(1925年)〕」
:製品検定の様子がわかります。
仁丹計器時報第9号

(8)「フェバー体温計」紙製衝立
フェバー体温計

キング・ライト・リバー・トーマ・ローヤル

(9)「キング・ライト・リバー・トーマ・ローヤル」体温計見本ディスプレー
向かって左側にはセ氏・摂氏・℃で表示、左側には華氏・Fで表示がされています。

景品鉛筆 (10)景品鉛筆







(11)木製看板2種類
木製看板


〔参考文献〕
・体温計     インターネットWikipedia
・森下仁丹歴史博物館HP
・テルモ株式会社HP
・テルモ体温研究所HP
・丹波敬三    インターネットWikipedia
・丹波敬三    Yahoo!百科事典
・家庭の常備品となった「体温計」
  宏昌(安方クリニック)骨董縁起帳(2008秋 冬)より


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