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今は昔 売薬歴史シリーズ 10

健脳丸 へ ≪  ≫ 養命酒 へ
~ アスター軟膏 ~


今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝える伝統薬シリーズ、8回と9回では[丹平製薬株式会社]の製品の『今治水』と『健脳丸』を取り上げましたが、今回も引き続き同社の伝統薬『アスター軟膏』を御紹介いたします。


◎『アスター軟膏』 = 〖アスター軟膏〗

  • 現在〖新今治水〗〖健のう丸〗と今回御紹介する〖アスター軟膏〗を製造している[丹平製薬株式会社]の前身、明治27年(1894年)に設立の[丹平商会]の大本は、宝暦5年(1755年)に初代の丹波屋平兵衛が主家から独立し大阪の心斎橋で開業した足袋装束業に始まります。
    丹平の屋号は丹波屋平兵衛の頭文字に由来するわけですが、明治維新後に家業を継いだ五代目の森平兵衛は有栖川宮の御用達となって菊の紋の小鈎ある御殿足袋を商うかたわら森玉林堂の名前の売薬本舗も営んでいました。
    その養子が明治27年(1894年)[丹平商会]を設立した六代目の森平兵衛翁で、翁は明治23年に大阪薬学会の付属薬学校を卒業、その年には内務省の薬舗開業試験に合格し薬舗主の資格を得ています。
    この六代目の森平兵衛翁により『健脳丸』が発売されたのは明治29年(1896年)、また『今治水』の一手専売契約を取り交わしたのが明治28年(1895年)、『今治水』の譲渡を受け[丹平商会]の丹平商品として発売したのが明治38年(1905年)のことですから、六代目森平兵衛翁により[丹平商会]は製薬業としても飛躍したことになります。
  • 今回御紹介の『アスター軟膏』がいつ頃から製造発売されたかは、同社のHPを見ると大正14年(1925年)に「アスター (現アスター軟膏) 」を発表となっております。
    伝統薬シリーズその7回では『タムシチンキ』を御紹介しましたが、この『アスター軟膏』は数多くの水虫治療薬のなかでもイオウ化合物成分チアントールを含む製剤である点が特徴です。
    イオウは皮膚表面で徐々に硫化水素を形成して皮膚寄生生物の発育を阻み、同時に角質軟化作用により薬剤の疾患部浸透を容易にします。
    現在の〖アスター軟膏〗に含まれているチアントールはイオウを含む化合物でイオウと同じように作用する他、消炎作用とかゆみを止める作用もあります。
    コレクションの『アスター軟膏』には昔の製品のことなのですべての成分が表示されていませんが、効能書によりますと“硫黄化合物(硫黄含有量約25%)に更に或る特殊高温装置に依り患部刺激の憂いなしに、主薬たる硫黄の含量約10%を増加し之に必要なる殺菌消毒薬をて配伍したる芳香性帯黄白の軟膏なり。”とあり、硫黄を大量に含んだ製剤であったことは確かなようです。
    またコレクションの『アスター軟膏』は陶性の軟膏壺、金属の蓋という時代を感じさせるものです。 価格は35銭で東京支店の住所が東京市日本橋區とあることから戦前の製品と推定されます。

  • では『アスター軟膏』コレクションをご覧下さい。
    チラシも暖簾も状態良く綺麗なものです。 戦前というと戦争の暗いイメージがつきまといますが、それは昭和の10年代後半のことで、このチラシや暖簾のようなデザインが普通だった時代もあったことを再認識させる資料でもあります。
《『アスター軟膏』》
『アスター軟膏』
『アスター軟膏』
《昭和12年『アスター軟膏』春季大特売チラシ》
『アスター軟膏』春季大特売チラシ
《昭和12年『アスター軟膏』暖簾》
『アスター軟膏』暖簾

《現代のアスター軟膏》

現代のアスター軟膏
現代のアスター軟膏



〔参考文献〕
・インターネット  丹平製薬株式会社HP

〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局  荻野 祥子 先生


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