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今は昔 売薬歴史シリーズ 4

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~ キンカン・ムヒ ~


前号に引き続き、今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝えるシリーズその四、今回は虫さされ、かゆみ止め塗り薬の双璧 (1)キンカンと(2)ムヒを御紹介いたします。


(1)『キンカン』 = 〖キンカン〗

  • この『キンカン』については都薬雑誌Vol.26 №4(2004)でも東京に所在の「我が社の伝統薬」連載八の巻にて御紹介されていますので、ぜひそちらもご覧下さい。
    伝統薬といいますと昔の製品と今の製品とではカタカナ文字(○○クール。など)や英字(◎◎A。など)をプラスしたりして、新しさも強調して時代に対応しようとするパターンが見受けられますが、この『キンカン』は昔も今も頑固に〖キンカン〗のままで、ここにも伝統薬を守り抜く意志のようなものがうかがえます。よろこばしい限りです。
    〖キンカン〗というと虫さされの塗り薬というイメージがありスーっとした感覚と間違って虫さされのかきくずれたところなどへ塗った時のあの痛みはなつかしい思い出ですが、この『キンカン』当初はやけどの治療薬として開発されたものでした。
    ではその歴史をお読み下さい。
  • 『キンカン』の名は創業者の山崎栄二氏が戦前日本が統治していた朝鮮半島の京城(:現在のソウル)に作った製薬研究所の名前が、当時朝鮮慶州にて発掘された古代王族の金の王冠の名をとって[金冠堂]と命名したことに由来します。
    明治28年(1895年)に福井県沢新庄で四人兄弟の末子として誕生した山崎栄二氏は21歳で大正5年(1916年)に舞鶴の海兵団に衛生兵として入団、軍隊において医学や薬理学を学んだ山崎栄二氏は、兵役終了後今でいう製薬ベンチャー企業家として立身出世の夢を抱き昭和元年(1926年)に朝鮮半島に渡り上記の製薬研究所を設立したわけです。
    その製薬研究は“万能外用薬”を開発することにあり、苦難、執念の末、ついに昭和5年(1930年)緑色の透明な液体を完成しました。
  • この“万能外用薬”創製当初は、ご夫婦で売り歩いたその日の売り上でその日の食料品を買うなど火の車のような状況で夫人の内助の功、大だったようですが昭和6年(1931年)には心機一転東京へ進出しました。進出当初は販売ルートを確立するため、毎日薬をかつぎ売り歩く一方、各地で開いた講演会では自らの腕に煮えたぎった湯を注いでは『キンカン』を塗布するという、効き目に対する大きな自信に裏付けられたまさにがまの油売りが真っ青になるような荒技、我が身を削るような熱意で実演販売、PRに努めた結果、当時の文部省成人教育課に注目されるところとなり、全国婦人会や女子青年団での販売が認められることになりました。 (東京芝公園の女子青年会館に建つ女子青年館は『キンカン』の販売による収益が大きな建設資金の一つになったとのことです。)
  • そして日米開戦の昭和16年(1941年)に陸軍軍医学校で行われた糜爛性(びらんせい)毒ガス“イペリット”に対する生体治療実験において『キンカン』の有効性を証明、『キンカン』は軍用医薬品の一つとして一括採用されるに至り防空協会を通じて空襲時の火災による火傷や外傷の救急薬として各地の民間団体に配布され『キンカン』は全国に知られる有名薬となったわけです。
  • 戦後は火傷のみならず、虫さされや肩こり、腰痛、神経痛、リウマチ、打ち身、しもやけ、皮膚病(水虫、いんきん、あせもなど)、切り傷にも使われる家庭常備薬、万能外用薬としての地位を確立しました。
  • しかしながら『キンカン』も多くの伝統薬と同様に1976年頃からの監督行政による再評価、指導などの結果多くの効能は削除され、現在ではその効能は“虫さされ、かゆみ、肩こり、腰痛、打撲、捻挫”に限定したものとなってしまっています。
    また懐かしい形のあのコーラの瓶にも匹敵するとも評価できる、独特な形をした褐色ガラス瓶の容器にスポンジ付のゴム栓タイプの『キンカン』の容器は平成9年(1997年)頃で製造は中止されたようです。残念なことです。
  • 現在では塗布部分にスポンジが使われて直接塗布することが出来て、しかも瓶が転倒してもこぼれず、さかさまでも塗布できる丸ビンに変っています。その他同社は、スプレータイプの製品、ソフトタイプの製品、クリーム剤、虫よけSPなども製品化、かゆいところに手の届くような製品の開発に努め続けています。
  • 今回の『キンカン』のコレクション、その一つは戦時中の大日本防空協會にて配給された『キンカン』です。
    その外箱には[救急用 癒創液]と書かれ、配給価格は壱円貮拾参銭とあります。また外箱の上蓋には大日本防空協會指定品の文字が、瓶の底には金冠の文字をデザインした三角形の商標が刻印されています。空襲下における治療風景を絵入りで図示した緊迫感あふれる説明書もご覧下さい。
キンカン

癒創液「キンカン」の用ひ方

次のコレクションはゴム栓当時の懐かしい形の『キンカン』です。(箱付とビンのみ)
箱付コレクションはミニチュアボトルのような大きさで試供品なのではと思われますが、同封されていた添付文書もご覧下さい。 神経痛、リウマチの効能も書かれています。
キンカン
キンカンキンカン

キンカン
薬局経営日記より『キンカン』広告(昭和29年版)
キンカン
〖キンカン〗ストラップ
(“キンカン塗ってまた塗って…”の
フレーズが書かれています。
;〖キンカン〗は塗布、乾燥を繰り返す
 ことで患部への効果が高まります。)
キンカン
現代の〖キンカン〗

キンカン


(2)『ムヒ』 = 〖ムヒS〗

  • 富山というと江戸時代からの薬売り・置き薬で有名ですが、それらを製造しているメーカーの中で全国制覇を成し遂げ、日本中で愛用されている薬に内外薬品の『ケロリン』があります。
    そしてもう一つ忘れてはいけない、そして知っておいていただきたい薬にこの株式会社池田模範堂の『ムヒ』があります。
  • 株式会社池田模範堂初代の池田嘉市郎氏が同社を創業したのは今からちょうど100年前の明治42年(1909年)のこと。
    当時は家内工業の規模の時代だったようですが、二代目の池田嘉吉氏の時代になってそれまでの経験と試行錯誤の繰り返しのなかで大正15年(1926年)『ムヒ』が生み出されました。
  • この『ムヒ』は日本で初めての“かゆみ止め”を効能に謳った塗り薬であり、かつその商品名が他に比べるものが無いほど優れたことを意味する“無比”を意味するという簡単でありながら明瞭なネーミングである点、さらには会社名も社会の規範になろうという意味のこもった模範堂という名前である点なども相乗効果をもたらして『ムヒ』はたちまち人気商品となりました。
  • 発売当初の『ムヒ』は軟膏基剤のワセリンにメントールとカンフルを混ぜたシンプルな製剤で平べったい缶に入っていたようですが、昭和2年(1927年)にはチューブ式に変更、さらに昭和6年(1931年)には基剤をクリーム状に変更したところ、さらに売上は爆発的にアップしたとのことです。
  • そして戦後昭和22年(1947年)になって『ムヒ』は配置販売から店頭、薬局販売へと販売網転換を決意しました。 当時は戦後まもなくの混乱期でもありゲートル姿でリックを担いで夜汽車に乗って上京するという時代でしたが、熱意の結果電報通信社(現電通)でも認められ広告紙面スペースの確保が出来るなど一流広告メーカーの仲間入りを果たしました。
  • 同社のカンパニーフレーズは「かゆみを科学する。」です。
    その製品開発・改良研究にかける姿勢は『ムヒ』の改良品〖ムヒS〗の誕生に止どまらず、赤ちゃん用の製品「ムヒ・ベビー」、液体タイプの「液体ムヒS」や貼るかゆみ止め「ムヒパッチA」、虫よけの「ムシペールα」など多くのバラエティに富んだ「かゆみを科学した」製品を生み出しています。
  • なお同社は平成2年(1990年)には日本初の一連のキャラクター採用商品(;アンパンマンを採用)を開発しています。

    では『ムヒ』のコレクションをご覧下さい。
ムヒ
戦前の『ムヒ』 30銭 と 添付文書

ムヒ
戦後の『ムヒ』 50円 と 添付文書
ムヒ
現代の〖ムヒS〗

〔その他のコレクション〕

○『ムヒ』の空チューブ
:いろいろなものをコレクションしていますと、珍品に遭遇することがあります。
これもその一つでいろいろなメーカーから受注を受けてチューブを作っていたチューブ製造メーカーのチューブサンプルの一つで、『ムヒ』の製品になる前の空チューブです。コレクターはこのようなものに最も価値を感じるものです。
他にも戦前の大陸向けの資生堂歯磨のチューブサンプルもありました。

○その他
ムヒ 空チューブ

ムヒ 琺瑯看板
『ムヒ』琺瑯看板
ムヒ
戦前の『ムヒ』チラシ

ムヒ
戦前の『ムヒ』店頭小型立看板
昭和天皇が昭和33年(1958年)に富山県において開催された第13回国民体育大会行幸啓に際して同社を
御視察あそばされた際の様子をご紹介したパンフレットです。
ムヒ

健康のしおり(株式会社池田模範堂作成)
ムヒ

こけし(:ムヒの名前が書かれた簡単な木製のこけしでエンピツキャプかと思われますが、『ムヒ』には戦後類似品が続出、その関係のサービス品かもしれません。)
ムヒ ムヒ
薬局経営日記より『ムヒ』広告(昭和29年版)

〔おまけ〕

池田模範堂 『ノーヂ』『ノーヂS』(:腦治)
池田模範堂 『ユイツ』『ネオユイツ』(:唯一)
 :池田模範堂は現在『ムヒ』類以外にも子供用の風邪薬などを製造していますが、本来は配置売薬メーカーであった
  同社は、これらの鎮痛薬や感冒薬も製造していました。
ノーヂ
ユイツ
ノーヂS
ネオユイツ



〔参考文献〕
・日本の伝統薬     宗田 一    主婦の友社
・名薬探訪       加藤 三千尋  同時代社
・インターネット    フリー百科事典『ウィキペディア Wikipedia』より
             キンカン、池田模範堂
・インターネット    株式会社金冠堂HP、株式会社池田模範堂HP

〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局  荻野 祥子 先生


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