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〜 今回ご紹介するのは、古い時代の処方せんです 〜 ※処方せんは現代のように個人情報保護法の無かった時代でも普通保存期間が終わると廃棄されるため、手に入れるのが難しいものです。 |
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| 1.明治39年(1906年)の道修町のたぶん開業医の処方せん | ||||
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ちなみに明治39年はオーストラリアの医師ピルケが「過敏症」に代わって「アレルギー」という用語を提唱し初めて用いた年で、もともとは変わった動きという意味。 |
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道修町(どしょうまち)とは? 道修町は、大阪、地下鉄御堂筋線の「淀屋橋駅」、堺筋線ならば「北浜駅」を降りて、南に少し下ったところにあり、江戸時代から「くすりの町」として知られてきました。 江戸時代には「薬種(草根木皮など、和漢薬の原料になるもの)中買仲間」が集まり、長崎を介して輸入される唐薬や、和薬の国内流通 の中心をになっていましたが、明治時代になると仲買商は製薬業にも進出していき、 現在では、くすりを扱う企業や、くすりにゆかりのあるお店がびっしりと軒を並べております。 また、道修町には、江戸時代からくすりの神をまつる少彦名(すくなひこな)神社があります。少彦名命(すくなひこなのみこと)を御存じでしょうか?ワニ(サメ)をだまして皮をはがされて泣いていた因幡の白ウサギをなおしてあげたあの神様で、日本の薬祖神として有名です。 |
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| 2.大正5年(1916年)の巣鴨病院の処方せん | ||||
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大正5年は大日本医師会が発足した年です。 この処方せんの裏面には、調剤した薬剤師の署名と捺印があります。 |
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東京府巣鴨病院とは、現東京都立松沢病院の前身で、開設から現在に至るまで、日本の精神病治療の最先端をおこなっている病院です。さかのぼる事、明治12年、上野公園内に東京府癲狂院(てんきょういん:癲狂とは精神錯乱の疾病)という名称で開設。2年後に本郷向ヶ丘(現文京区)に移転し、さらに5年後に小石川駕籠町(現文京区)に移転。その3年後、明治 22 年、東京府巣鴨病院と改称。そして大正8年、現在地世田谷区へ移転し、東京府立松沢病院と改称。昭和18年、都制施行により、現在の東京都立松沢病院となりました。 ここで忘れてならないのは、「呉秀三」(くれしゅうぞう)です。我が国近代精神医学の祖と言われており、明治34年〜大正14年まで東京帝国大学医科大学教授として神経病学講座を担任するとともに、東京府立巣鴨病院、のちの東京府立松沢病院院長を兼任し、わが国の精神病院医療の確立のために多大なる貢献をした人物です。 この処方もおそらく精神病で受診している方のもので、大正5年にて、呉秀三教授が医院長をしていた時代に診察を受けたものであります。 |
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| 3.大正12年(1923年)の東大付属病院の処方せん | ||||
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大正12年は千葉、金沢、長崎に医大が創設された年です。 |
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| 東京大学医学部は安政5年(1858年)5月、「神田御玉ヶ池種痘所」を設立したところからはじまります。文久 元年 (1861年) に「西洋医学所」と改称、その後、移転、合併、改称をくり返し、昭和24年 (1949年) 5月、「東京大学医学部附属病院」と改称、現在に至ります。東大医学部と種痘については、後日別 コーナーにてあらためてご紹介させていただきます。 | ||||
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これらの処方せんにもあるように、昔の調剤は粉の混和が多く、また丁幾(チンキ)剤を用いた液剤も多かったようです。いずれにせよ現代のコンピュータ印字の処方せんよりも威厳を感じる次第です。 |
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